社会起業家 エコビジネスネットワーク代表 安藤 眞 氏に聞く

社会起業家 エコビジネスネットワーク代表 安藤 眞 氏

エコビジネスネットワークを立ち上げられた経緯を教えてください。

エコビジネスネットワークを発足させたのは、1988 年のことです。それまで、私は新聞や週刊誌等で記事を書くライターをしていたのですが、次第に達成感を持てなくなっていました。ライターは結局は「なんでも屋」ですからね。そこで、40 歳を過ぎた頃から、自分のテーマを持つことを目指すようになった。それが結局、「環境」だったのですが、きっかけとなったのは、その当時関わっていた2つの NGO 活動です。1つがソマリアでの飢餓難民の救済活動、もう1つがインドでの植林活動。私はこの2つの NGO で、日本国内での事務局を担当していました。
これらの活動をしながら強く肌で感じたのが、地球環境のすさまじい悪化。アフリカやインドからの現場情報に触れるたびに、かつての森林が半砂漠化しているなど、我々日本の想定を遥かに超えた環境劣化が進んでいたのです。この状況を食い止めなければいけないと強く感じました。ただ、これらの NGO 活動でやれることには限界がありました。志はあっても、活動のための資金が集まらないのです。時代は 1980 年代の終わり、バブル経済の真っただ中です。ボランティアに資金や理解を示す企業は少なく、私たちの活動は暗礁に乗り上げたのです。結局、私たちはこれらの活動から潔く撤退し、別の形で、環境問題に取り組むことにしました。それが、エコビジネスネットワーク(以下、エコビズ)です。
エコビズを立ち上げる際、私がもっとも重要視したのが、「ボランティア」ではなく「ビジネス」として組織にすることです。活動も、「市民」を対象とするのではなく「企業」。私たちは、さまざまな企業に「環境ビジネス」を提案し、それに対して企業から報酬を得る。つまり、環境ビジネス専門のシンクタンクとして、エコビズを発足させたのです。ちなみに、「エコビジネス」という言葉は、私たちの造語です。これまで、市民活動として進められてきた環境への取り組みを、利益の発生する「ビジネス」にしていこうという思いを込めました。そうしたお金がまわる形にすることが、より多くの人が環境問題と向き合い、継続的に取り組める状態を作る上で、不可欠だと考えたからです。これは、資金不足で立ちいかなくなった先の2つの NGO での経験を踏まえてのことでした。

「自然農法」

安藤氏が人と自然との関わりについて考え、環境を志すきっかけになった
福岡正信著「自然農法」

エコビズのビジネスは最初からうまくいきましたか?

いいえ。最初の2、3年はまったくの鳴かず飛ばずでしたね。そもそも提案先である企業から相手にされなかった。1960 年代に多発した公害問題を経験し、企業にとって「環境問題」は取り取り組まざるを得ない「難題」ではあっても、「ビジネスのネタ」では決してなかったのです。提案先からは「環境をビジネスにしても儲かるはずがない」という答えばかり返ってきました。さらに、同じように環境に取り組む市民団体からもバッシングを受けました。「『環境』にゼニカネを持ち出すとは何事か!」というわけです。環境への取り組みを「奉仕」でなく「ビジネス」にするという発想は、多くの市民活動の考え方とは相容れなかったのでしょう。そうした状況に変化が見え始めたのは、1992 年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた「国連地球サミット」です。その会議で、「持続可能な開発」というテーマが中心議題になり、「環境」に軸足を置いた企業活動の必要性が、企業の人たちの間でも理解されるようになってきた。その結果、「環境ビジネス」という言葉も、次第に世の中に浸透していきました。それに伴い、私たちのエコビズに、関心を寄せてくれる企業も増えていきました。かつ取引先も増え、それこそ私たちの活動が「ビジネス」として成り立つようになっていったのです。

これまでのエコビズの活動を簡単に教えてください。

最初の段階である 1990 年代は、環境に関する「情報発信センター」としての機能がメインでした。その当時、世の中に出ている「環境」関連の情報はごくわずか。新聞でも雑誌でもほとんど取り上げられなかった。そこで、企業を対象に、我々が自分の足で集めた情報をレポートにし、定期的に発信するようにしました。また、環境ビジネスをテーマにした書籍を作ったりもしました。1990 年代の後半以降になると、「環境」への世間の関心が高ま っていき、新聞や雑誌でも環境に関する情報が数多く取り上げられるようになります。また、2000年前後にはインターネットが急速に普及し、誰でも簡単に環境情報が得られるようになりました。
こうなると、私たちがあえて「情報発信センタ ー」である必要はなくなります。そこで、別な活動へとシフトすることにしました。それは、企業が「環境」に関する新規事業を立ち上げる際のサポートをするという活動。大手企業を主な顧客とした、コンサルタント業務や市場調査、事業の可能性調査などです。その頃になると、スタッフも 10 人を超え、それぞれが企業に入って、環境に関する事業のサポート業務を行っていました。

『地球環境ビジネスʼ91』

安藤氏が日本で初めて環境ビジネスに関する情報をまとめた書籍『地球環境ビジネスʼ91』

現在も、そうしたサポート業務が中心なのですか?

いいえ。この業務はだいぶ減ってきています。というのも、私たちがエコビズを始めた頃と違い、環境分野の専門教育を受けた人材が増えてきましたからね。大手企業では、そうした人材を積極的に採用しているので、いってみれば素人集団の私たちに出番はない。だからといって、エコビズの活動をやめようというわけではありません。まだ私たちにできることは残っています。それは、「コーディネート」の仕事。環境を通じて、企業と企業、あるいは企業と行政を結びつける役割を担っていくことです。
たとえば、現在行っている事業に、「アセンブリ ー」のサポートがあります。アセンブリーとは、さまざまな会社から部品を調達し、そこから自動車などの1つのモノを組み立てていくこと。スカイツリーの開業で、墨田区の中小企業が協力して造 った電気自動車が話題になっていますが、あれはまさにこのアセンブリーによるものです。私たちは、長年、環境ビジネスに携わってきた分、環境技術の一部についての目利きができます。そうしたスキルを活かし、現在、いくつかの地域に入り、アセンブリーのサポートを行っています。
また、「クラスター」といって、地域で新しい事業を立ち上げるお手伝いもしています。いま、地方の企業の中には、建設業から農業や福祉介護事業など、業態変化を求められるところが少なくありません。時代の変化や経済状況の悪化を受け、生き残るためにそうせざるを得ないのです。私たちが行っているのは、環境事業を新たに起こす企業へのサポートです。具体的には、それぞれの会社が持っている得意分野から、どのような環境事業を起こすことが可能かを見極める、さらに実際に事業化する際にはサポートを行う、などです。
その他、大量に出まわる環境関連の商品について、そのユーザーに向けて、彼らの必要性に応じて、お勧めの商品を選んであげるといったサービスも行っています。これらの仕事で求められるのは、「目利き」の技術。25 年もの間、環境ビジネスに取り組んできたからこそ、できることだと思っています。

今後、環境ビジネスはどうなっていくと思われますか?

2008 年の環境ビジネス市場の規模は 74 兆8000 億円、雇用規模は 176 万人。自動車産業の市場希望が 40 数兆円ですから、それより遥かに上をいっています。さらに、国としては、2020 年までに100 兆円にまで拡大することを見込んでいます。まさに環境ビジネス市場は、成長著しい産業なのです。
そして、環境ビジネスは、いまや第一産業から第三次産業まで、全産業的に広がるまでになっています。かつては、製造業などの第二次産業が中心だ ったのが、今は、農業や林業などの第一次産業、電気、ガス、金融、サービス、商業など第三次産業まで多岐にわたります。
さらに今後、期待されるのが、「海外」での展開です。海外で環境ビジネスを展開する場合に、キーワ ードとなるのが「公害対策」です。今の日本では、環境ビジネスというと、省エネ技術や再生可能エネルギーがよく話題になりますが、世界全体で見ると、それらへの注目度は低い。世界の環境ビジネス市場のメインは圧倒的に公害対策であり、9 割がそれだと考えていいでしょう。日本人は「今さら公害?」と思うかもしれませんが、中国やインドなどの新興国は、今まさに経済発展の最中にいます。かつて高度経済成長期の日本がそうだったように、経済発展の裏側には常に公害がついて回るのです。ただし、「公害対策」の技術といっても、日本の大手メーカーが誇るハイテクを新興国に持っていっても、商売になりません。環境技術には「適地技術」というものがあり、オペレーションやメンテナンス、修理といったことが、現地の人にも簡単にできるものでないと受け入れられないのです。さらに現地の人が買える価格であることも重要です。その意味で、新興国での環境ビジネスは、大企業のハイテク技術よりも、中小企業の極めてローテクなものにチャンスがあると私は考えています。

最後に、若い世代へのメッセージをお願いします。

私は週に 1 回、大学で教えているのですが、そこで、今の「就活」のやり方に非常に疑問を感じています。「就職」ではなく「就社」になってしまっている。つまり、「会社」を選ぶことがメインになり、自分がこれから生きていくための「職」選びになっていない。これは、非常に問題ありだと思います。なぜなら、最初に選ぶ会社や仕事はとても重要だからです。結局、その時選んだ仕事によって、その後の社会人としての人生が決まるといっても過言ではありません。転職するにしても、常にその延長線上で仕事を見つけていくことになるでしょう。たとえば、営業で入ったら、たいていの場合、営業で転職することになる。とりわけ、日本はそういう傾向が強いのです。
だからこそ、仕事を決めるときは、もっと長い目で自分の人生を見つめ、自分のやりたいことを見極めていく必要があります。そのためには、1 年とか半年という就活期間にとらわれる必要はないのです。社会に出るのに 2 年や 3 年遅れても、それはたいしたことないと、私は考えます。そして、自分のやりたいことを見つけたら、とにかく続けることです。これしかないと思います。
それには、「続けよう」という意思を持つこと。これは、ギリシアの言葉で「エートス」と言います。何かことを起こす時には「パトス(情熱)」が必要です。でも、それは一時的な思いにすぎず、それだけでは続けられません。「続けようという意思(エートス)」を持つことが非常に重要なのです。これは、私自身、エコビズを 25 年以上、続けてきた実感です。続けることで、ネットワークができ、そこから自分のやりたいこと、目指すことの実現へと近づいていける。ただし、続けるには、「志」だけではダメです。お金や人、モノなどの「資源」も常に整えておくこと。それらが不足してしまえば、いくら志があっても実現できません。続けるためには、「志」と「資源」の両方が持続するように、常に取り組んでいく必要があるのです。


安藤 眞 氏 プロフィール

1969 年早稲田大学政治経済学部を卒業。
フリーメディアコーディネーターを経て、87 年に株式会社オフィスメイを設立、代表取締役。
翌 88 年、環境ビジネス関連のシンクタンク「エコビジネスネットワーク」を発足する。
ドイツの EBS の環境研究所などに研修、海外に独自のパイプを持ち、国際的な環境ビジネス動向に深く関わりつつ、学生から企業、行政をとりまく国内の環境ビジネスネットワークの構築、環境ビジネス調査・分析、市場開拓を専門分野に活動している。環境省環境カウンセラー、経済産業省・新エネルギー産業ビジョン検討会委員、九州地域環境・リサイクル産業プラザアドバイザー、中小企業大学校(直方校・関西校)、明治大学講師、新潟県産業創造機構メンター等。

著書

『チャンスがいっぱいエコビジネス』(ダイヤモンド社)
『新・地球環境ビジネス』『環境の仕事大研究』(産学社)
『環境ビジネスを本気で成功させる』(日本プラントメンテナンス協会)『リサイクルのことがわかる事典』(日本実業出版社)
『環境マネジメントシステムの導入と実践』(かんき出版)など多数。
自社でも月刊『環境ビジネスレポート』を発行。

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